『ムーラン』(映画)を観て。本当の強さとは何かを考える話。
こんにちは、moonです。
私は数年くらい前に偶然、ある曲を聴きました。
『木蘭情』という曲です。
この曲は、中国映画の主題歌でした。
最初に聴いたとき、鳥肌が立ち、心が高揚したのを覚えています。
彼女の歌声は美しく、強いものでした。
祈りのような、何かを訴えているような、そういうものを感じました。
とても壮大だと思ったのが当時の印象です。
そして最近、その映画を観ました。
思ったことや感じたことが色々ありました。
それなので今回は、『ムーラン』という作品を観て感じたことを中心に書いてみたいと思います。
〈あらすじ〉
若い娘ムーランは病弱な父の代わりに、父には黙って男になりすまし戦場に向かう。
そこで女性である身を気づかれそうになったところを上官ウェンタイに救われる。
度重なる戦で彼らはお互いがなくてはならない存在になっていく。
慕われる人とは・・・
ムーランは、とても強い女性だ。
人間であることは感情的であることと同じだと思う。
その感情が戦では障害になることがある。
仲間が傷つくやもう会えないという事実を冷静に受け止めなければならない。
想像すらできないほどにとても苦しいことだろう。
安全で平和なところから観ている自分には理解できないことだ。
彼女は、その優れた戦闘力が評価されて、将軍に昇格していく。
大切な仲間との別れ。悲しみの中、自由がなく、自分の意思で好きなように動けない。
それでも、戦わなければ皆が傷つくことになる。
他の人の上に立つ人というのはそれだけ大きな責任がある。
そのプレッシャーが常にある状態というのは気が抜けない、とても大変なものだと思う。
そんな中でも、自分のことよりも兵の命やその家族のことまで考える。
誰もがこの人のために何かしたいと思わせるものを彼女に感じている、そういう印象を受けた。
それは彼女がみんなのことを考えて、行動しているからだと思う。
その責任の重さから逃げず、自分の中にある弱さと向き合える人が強い人なのだと思う。
弱いことと強いこと
強さとは、身体よりも先に心が大きな木のように頑丈であることをいうのかなと思ったりする。
心が弱ると身体も弱ってきてしまう。
でも、心がしっかりしてさえいればそれに伴って身体も強くなって、健康になっていく。
精神を鍛えることは大きな壁が目の前に現れたときに、とても重要なことのように思う。
本当に強い人は、自分の強さを暴力や権力などでわからせようとはしない。
人の気持ちを考え、痛みを感じながらも、自分の弱さを受け止め、人に優しくあろうとすることだと思う。
そういう人に人は惹かれて、そばにいたいと思う。
自分がほしいものをまず自分が与えるのだ。
理解してほしいと思ったら、相手のことを理解しようとする。
愛されたいと思ったら、自分が相手を愛する。
与えることで自分の中にあるものがなくなっていきそうだと思うけど、きっとその反対にどんどん豊かになっていく。
それは周りにも波紋のように広がっていく。
すぐにできるものではない。
でも、自分はそういう強さを持ちたいと思っている。
だから、心に留めておきたい。
さいごに
この作品を観て、私は自由に生きていくことができる、好きなように好きな人と過ごせることがどれほどありがたく幸福なことなのかを感じました。
自分の人生で何がしたいのかをこれから考えて、いろんなものに触れるきっかけを自分で作っていこうと思いました。
大切なことに気づかせてくれた作品でした。
とても感謝しています。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。